2007-09-19

喪に服す、服し方もいろいろ

先日、セントルシアの首相が亡くなった
脳卒中だったとのことで、しばらく闘病をしていたそう
ジョンコンプトン氏は30年近くもセントルシアを引っ張ってきた
1979年に独立したばかりのこの国にとっては偉大なる父なのである


彼が亡くなってから
車はそれぞれに国旗を掲げたり黒いフラッグを掲げたり
省庁や商店のショーウィンドーはフラッグカラーの布で飾られ
ジョンコンプトン氏の写真を花やキャンドルで飾っている
人々は写真入の缶バッチを胸につけ、それぞれがそれぞれの形で喪に服している

きのうが国葬だった
政府命令で公私にかかわらずすべての企業、商店がお休み
喪に服することとなった


午前中は日本では考えられないけど一般市民とのお別れ
棺のすぐそばまで行くことができたそう
13時から街を一週回って教会へ
ちなみに棺は軽トラックにのせられていました
何に驚いたって警官が行進してたこと
やればできるじゃん、ルシアン、だけどされどルシアン、やっぱりルシアン
歩けるけど止まれない
「やばい、止まらなきゃ」ってばらばらと無理にかっこだけつけて止まるから余計に目立つ

13時から始まった国葬
私は家でテレビで見てました
でも、さすがに飽きてしまって他の隊員と海へ
街には人がいない、家からは国葬中継が聞こえて、今日ははしゃげないねぇなんてはなしてたものの
いざ、海についてみたら
「学校休みなのに、家になんていられないよぉ」っていうがきんちょがわんさか
一緒に遊んだら、疲れちゃった
喪に服すっていろいろだけど、コンプトン氏がくれたお休みを楽しく過ごすのも1つの喪に服す形なのかもしれないなって思った

4時半頃、帰宅
まだ続いてた国葬に軽く驚く
カリプソ(川柳カリブバージョン)まで歌ってる
5時くらいにようやく終了

でも私はこのジョンコンプトン氏はすごいと思う
人の命の重さはみんなおんなじって思うけど
ここセントルシアが彼の生きた証であり、セントルシアという国が続く限り
ジョンコンプトン氏はセントルシアの偉大なる父であり続けるのだと思う

1つ心配なこと
彼が亡くなったのはたしか10日くらい前
その間、連日、一般市民とのお別れの場が設けられ、一度は故郷のミクッドにも帰ったとか
こんな心配はちょっと不謹慎かもしれないけど
遺体の安置状態は平気なんだろうか
それじゃなくてもここ2週間くらいおそろしく暑いっていうのに・・・

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